2025年4月末での閉館が決まった俳優座劇場は、戦後の新劇をけん引してきた。その俳優座劇場の創設期からたずさわってきた俳優の阿部百合子さん(90)と川口敦子さん(90)に、劇場の思い出を聞いた。【濱田元子】
<1954年、劇団俳優座創立10年の節目に俳優座劇場(東京・六本木)が完成。建設費は約9500万円と、当初予算を大幅に上回った。同じ年、阿部百合子と川口敦子は6期生として俳優座演劇研究所付属俳優養成所に入った>
川口 2人は真面目で、いつも一番前の席を取っていました。とにかく一生懸命やらなきゃだめだって。授業は当時の先端を行く学者が網羅されていましたね。
<フェンシングのほか、演劇評論や心理学、言語学の授業まであった>
阿部 充実した3年間でしたね。2人は授業が足りなくて、伊藤道郎スタジオに行って、バレエを勉強したわよね。ヨーロッパのお芝居をやる劇団だったので日本舞踊の授業はなく、「つづみの女」(58年、近松門左衛門原作、田中澄江作)で裾をひく着物の役をやった時に足がにょっきり出てしまったなんてこともありました。
阿部 養成所の授業は無遅刻無欠席でしたから。もぎりが終わるとお芝居を見ていいってことで、毎日飽きることなく、先輩方のお芝居を見ていました。公演手当が最初はゼロ。それがある時、総会でワンステージ200円出ると言われたら、会場にワーッって歓声が上がりました。コーヒー1杯が50円の時代。
川口 千田先生から新入りの準劇団員まで、金額が平等だったことがすごいと思いました。
<苦楽を共にしてきた劇場に25年4月末で別れを告げる。開場と同時に入った6期生も、現役は2人だけになった>